ハワイ火山国立公園はキラウエア火山にビジターセンターがあるため、多くの観光客はこちらを訪れますが、島の南部にカフク・ユニットと呼ばれる場所もあります。国立公園は2003年にこの土地を購入して公園化しました。カフクはマウナ・ロアの南西リフトゾーン(溶岩の割れ目地帯)の末端に近いところに位置します。

プウ・オ・ロクアナ

カフク・ユニットのゲートを入ると最初に目に入るのは巨大な丘です。これはマウナ・ロアの噴石丘なのですが、緑に覆われているのは、カフクが元は牧場だったためです。国立公園としては簡素で、ビジターセンターを兼ねるショップにも空きスペースが目立ちます。ショップを運営するのはハワイ諸島の各国立公園に出店している各ハワイ太平洋公園協会です。まだそれほど多くの品揃えはありませんが、ガイドブックなど、ここでしか入手できないものもあるので寄ってみると良いでしょう。

噴石丘の頂からみた掘削跡

広場の北側にプウ・オ・ロクアナという名の大きな丘があり、ここからすべてのトレイルが伸びています。この丘は噴石丘と呼ばれます。噴石丘とは火山の噴火活動によって火口から噴き出す噴石が、落下して積もったものです。通常は小さな火口から真っ直ぐ上に噴き出すため、周囲に均等に降り積もり、半球型となることが多いです。かつては丘の表面に芝草を植え、牛を放牧していました。頂まではわずかな距離ですが、傾斜がきついのでゆっくり登ると良いでしょう。

頂からは2つの景色に驚かされます。南を振り返ると、灌木の森の先に溶岩平原があり、その先に海が広がります。噴き出した溶岩がゆっくり押し流され、海岸を広げていっただろうことが良くわかる景観です。

丘の頂から見た南側の景観

もうひとつの景観は足元の切れ落ちた崖です。真っ赤な壁面が見えますが、これは火口跡ではなく採掘跡なのです。太平洋戦争の際に軍事施設(レーダー用の鉄塔)があり、その撤去跡です。後の撤去作業の際に北側の丘陵部が削り取られ、今日の形になりました。土が赤いのは溶岩の成分中の鉄分が酸化したものです。このようなものは溶岩地帯はもちろん、ハワイ諸島でよく見られますが、このように極めて赤い土は、マウイ島のレッドサンドビーチくらいしか思い浮かびません。

丘を下り北上すると一面の溶岩地帯に出ます。最後の噴火は1868年に起こり、一帯の集落などは壊滅的な打撃を受けました。乾燥した溶岩地帯には特有の自然が広がりますが、牧場であった時代に動植物の多くが姿を消してしまいました。その後、ハワイ固有の植物などを移植したり、保護することで、鳥類などが戻り、少しずつですが、かつての自然を取り戻しつつあります。ここを左(西)に折れ、簡易舗装されている直線道路に出ます。これはかつての滑走路跡です。舗装路の両脇にはプキアヴェやオヒアなどの在来種が増えますが、外来の植物も数多く繁殖しています。

酸化の進んだ赤い土壌

この土地は18世紀末に一帯の首長であったケオーウアとカメハメハの軍団との戦闘地域としても知られます。カメハメハがマウイ島で他の首長と戦っているときにケオーウアがハワイ島の彼の土地に攻め入りました。慌ててハワイ島に戻ったカメハメハ勢でしたが、体勢的には不利な状況でした。それでもハワイ諸島を制覇するという野望を成し遂げるためにはケオーウアを倒さなければならなかったのです。勝利はあっけなく訪れました。ケオーウアの軍勢がカフクの辺りにさしかかったとき、噴火が起きて壊滅的な打撃を受けたからです。1790年のことです。

滑走路の突き当たりで再び左(南)に折れ緑地帯に入ります。ここは溶岩流の襲来を免れた場所(キープカ)です。伝統文化の時代にはここでカロ(タロイモ)やウアラ(サツマイモ)などの栽培をしていました。

溶岩地帯に広がるオヒアの森

毎週、金~日の午前10時半と午後1時にカフクオリエンテーショントークという公園説明会が30分ほど行われます。そのときによってカフクの自然や文化、歴史など、趣向を変えたレクチャーが行われます。英語のみですが、公園の特徴を知るにはうってつけです。

ハワイ火山国立公園カフク・ユニットのオープンは水曜日から日曜日までの午前9時から午後3時までです。(月曜日と火曜日は休園)入園料はありません。

ギフトショップで購入できるガイドブック

今回は一番手前のプウ・オ・ロクアナ・トレイルを紹介しましたが、その先にはパーム・トレイルやグラバー・トレイル、コナ・トレイルなど、6つのトレイルがあります。

 

 

筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。

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