カメハメハ1世がハワイ諸島を制覇するとラハイナは首都となりました。町は政治や行政ばかりでなく、アメリカの捕鯨船寄港地としても大きく栄えました。町の中心地区にはさまざまな歴史的建造物がありました。なかでも巨大に枝を広げるバニアンツリーの公園は町のシンボルとして人々に親しまれてきました。

バニヤン広場(被災前)

一部被害にあったもののバニヤンは生き延びた *写真は被災前の光景です

2023年8月8日、マウイ島西部にあるラハイナの町を、突風とともに巨大な山火事が襲いました。この火事は町を張りめぐる電線の何カ所かで発火してさらに広がり、またたく間に町のほとんどが焼失してしまいました。この結果、102名の死亡者と2名の行方不明者を出しました。建物の破壊は2200棟以上に上り、多くは一般住宅でした。これはアメリカ合衆国史上5番目に多くの死者を出した山火事として記録されました。

フロント・ストリートと立入禁止の看板

フロント・ストリートと立入禁止の看板

添付の地図を見るとわかるように、山火事は島の複数の箇所で発生しました。最初に発生したのはマカヴァオの町で、ラハイナの火災は半日ほど後のことでした。ラハイナの火災が発生して1時間後にはハレアカラ中腹のクラの町でも出火、さらにハワイ島のノースコナやワイメアでも出火しました。その数日前には空港のあるカフルイやオアフ島でも数件の山火事が発生しています。それらは鎮火させることができましたが、ラハイナは住宅の密集地であったため、被害がとても大きくなりました。

マウイ島とラハイナ(赤い部分は被災地域)

マウイ島とラハイナ(赤い部分は被災地域)

災害が大規模になった原因には地球温暖化による乾燥気候の増加や、放棄農地による植物の増加、最大秒速36mの突風、一端火災の鎮圧を宣言したことによる避難の遅れなどがありました。また危険を報せるサイレンが鳴らなかったこともこれに追い討ちをかけました。決してサイレンを鳴らし忘れたわけではありません。サイレンはツナミ警報として町の人に認識されていたため、山に向かって逃げる恐れがあったことから鳴らすことができなかったのです。手遅れですが、サイレンの鳴らし方で伝え分けるという手段があるべきでした。大災害にはしばしば起こりうる複合的な原因によって被害が拡大したと言えます。

復旧を待つ桟橋

復旧を待つ桟橋

災害から1年余となる先月中旬に現地を訪れました。現場はいずれも関係者以外立ち入り禁止となっているので遠目に災害の跡と復旧の様子を見て回りました。災害にあった建物はほとんどが撤去され、あちこちで仮設住居や新築の建物が造られています。しかし、写真のラハイナ・浄土ミッションでは本堂も鐘楼を吊す建物もすっかり焼け落ちていました。*

*立ち入りは禁じられています。

焼け落ちた浄土ミッション

焼け落ちた浄土ミッション

現在、日々の暮らしに不可欠なスーパーマーケットやモールは営業を行っています。しかしラハイナ内のホテルなどはまだ営業に至りません。宿泊は北のカパルアか、南のカアナパリから順に再オープンしています。

町の中心であるフロント・ストリートは半分ほどが通行可能となっています。ただ営業を行っている店は少なめです。陸路はかなり改善しましたが、海路は主要な波止場である中心街の桟橋が焼け落ちたままとなっています。

被災地域

被災地域

町の北を迂回するバイパス・ロードとラハイナルナ・ロードとの立体交差点近くには亡くなられた人たちを忍ぶ写真と十字架、レイなど、故人を偲ぶ品物とともに飾られています。ハワイ州旗をはじめ住民のルーツを示す各国の旗もはためいています。このメモリアル広場の出入口には立体オブジェと、傍らには被害者の名前が刻まれたプレートが飾られていました。

メモリアル・プレイスから見た海とラナイ島

メモリアル・プレイスから見た海とラナイ島

ラハイナには8月時点で3,000名以上の住民がホテルや仮設住宅などで避難生活を送っています。ところが新築の許可手続きは遅れていて、復興は手早くは進んでいません。原因のひとつとして建築許可に至る認証手続きが遅いことがあります。緊急事態なのでこれを簡素化できるはずですが、そうはなっていません。また建設資材が不足がちであることに加え、建設コストが高騰しています。また労働力不足も深刻な問題です。いずれについても大災害に対する特別立法のようなものが迅速に成立しないことが復興遅延の一因と言えます。とは言え、課題は関係者の間で共有され、解決するべく努力が続けられていますので今後に期待しています。

犠牲者の写真が並ぶ

犠牲者の写真が並ぶ

観光に依存するマウイ島にとり、ホテルやその他の観光資源が早急に復興することは喫緊の事柄です。多くは巨額の予算と専門家による作業を前提としますが、ボランティア活動も重要なサポートのひとつです。マウイ島ではビーチの清掃、野生動物の保護活動、植林やサンゴ礁の清掃活動などがあります。これらはいずれも観光客が参加可能です。またさまざまな寄付で復興支援を行うことができます。日本にも多くの支援プログラムがありますが、その多くは「マウイ・ストロング基金*」に送られます。

*https://www.hawaiicommunityfoundation.org/

災害を伝えるオブジェ

災害を伝えるオブジェ

合衆国政府や州政府などの補助金はもとより、上記のマウイ・ストロング基金などが災害地域の手当てとして活用されてはいますが、住民の心の問題として、深く長く繋がっていることこそ、未来に向ってラハイナの人たちが歩む上で何よりも心強いと語っています。わが国で起きるさまざまな自然災害はもちろん、世界各地でつねに深刻な災害が発生します。被災者に寄り添うこと。それがラハイナをはじめとする当事者たちの強い心の支えになると改めて思いました。

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筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。