ハワイ王国最後のリリウオカラニ女王没後100年。
ハワイ王国はカメハメハ1世が建国してから98年の間存在していました。
そして最後の女王となったのは、あまりにも有名なリリウオカラニ女王です。
リリウオカラニ女王はワシントンプレイスにて、1917年79歳の生涯を終えました。それから100年に当たる今年は、ハワイの色々な場所において、女王のイベント、記念展示や式典なども行われております。
先日ハワイ大学マノア校のハミルトン図書館での展示を見て来たので、その様子をご紹介しましょう。
私は大学4年生の時にハワイ大学に通いました。敷地内はとても懐かしく、大学生に戻ったような気分になります。その図書館の一角に女王の展示があります。
リリウオカラニ女王は1938年9月8日、ホノルルで誕生しました。由緒ある家系に生まれた王女は、兄にカラカウアとレレイオホク、妹にリケリケと3人の兄妹がいました。小さい時からロイヤルスクールに通い、英語、ハワイ語も堪能であったと言われています。ハワイ王国ではカメハメハ王朝を継ぐ血が絶えてしまい、選挙により国王が決まるという時代になっていました。
第7代国王に選挙で選ばれたのが、兄のカラカウア王でした。国王には子供がいませんでした。そしてもう一人の兄、レレイオホクは22歳で亡くなってしまっていたので、王位継承はリリウオカラニに渡ったということになります。時代背景には白人の力が大きくなった王国はすでに危機状態にあり、1891年、サンフランシスコで病気療養をしていた兄が亡くなり、1891年にリリウオカラニ女王が誕生しました。1893年に王国が崩壊するまで短い間の内容の濃い女王時代でした。
すでに1878年には有名な「アロハオエ」を作ったことより、音楽家としても名を残しています。生涯には200曲もの作曲作詞をされたと言われています。今回の展示では本人の自筆の音符、詩を見ることができました。
1886年に書かれた自筆の「Ka ‘Oiwi Nani」(Beautiful One)は王女時代に作られた曲です。王室の便せんに手描きの音符やト音記号と歌詞が書かれているのを見たときは鳥肌が立ちました。これはとてもロマンティックな曲ですが、一説によると王室のオーケストラ、ロイヤル・ハワイアン・バンドのディレクターであったヘンリー・バーガーが特別な友であり、恋心を抱いていたかもという話もあります。(ちなみにヘンリー・バーガーはハワイ州歌であるハワイポノイの作曲者であり、作詞は兄のカラカウア王です。)
直筆のものはこれ以外にも展示されています。
ハワイには「クムリポ」という創世記が存在します。兄のカラカウア王がハワイ語にまとめた書物を、1897年にリリウオカラニ女王が英語に訳し出版しました。このオリジナルの本も展示してあります。この本の開きには「1895年、イオラニ宮殿に幽閉された時より訳し始め、その後はワシントン・プレイスにて完成した」と書かれています。自分の祖先の創世記を英語に訳し、世の中に広げた功績は素晴らしいものです。
イオラニ宮殿のベレタニア通り側のハワイ州庁舎に置かれている女王の像の手には、このクムリポがしっかり持たれています。
展示物はすべてガラスのケースに入っているので、反射などでなかなか綺麗には撮影できませんでしたが、女王がそこにいるような、不思議な感覚になりました。
女王のリボンドレスの複製品も展示されています。こちらはイオラニ宮殿から貸し出されたもので、去年の4月からのプロジェクトにより、複製された特別なドレスです。(こちらの話は8月の「王家のドレス」https://www.pacificresorts.co.jp/kawaraban/quilt/royal_dresses/ に書いています)
イオラニ宮殿の展示より、間近に見ることが出来て感激しました。ドレスの後ろのリボンの部分がよく見えます。
ここまで来ると女王のマニアのようですが、ハワイの歴史を学ぶというのは本当に奥が深く、どんどん引き込まれていく気がします。
ハワイ大学での展示は10月15日までですが、11月以降、この展示はイオラニ宮殿に移動し、再び展示予定となっています。
皆さんもこの機会に是非、リリウオカラニ女王を感じる展示を見に行って下さいね!
By アン
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筆者プロフィール
- アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2010年スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)にてキルト展を開催。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。2012年7月、電子本「キルトストーリー」を発売。2012年9月、スパリゾートハワイアンズへ、フラガール・フレンドシップキルトを寄贈。2013年11月より、イオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを開始。2021年7月には誠文堂新光社より「ハワイアンキルト パターンとステッチの魅力」の増補改訂版を発売。ハワイ、日本での展示会やレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。ハワイ在住34年目。
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