ハワイ諸島の伝統文化にはさまざまな神がいて人々の信仰の対象となりました。それらの多くは、移住した人々の故郷ポリネシアの島々において共通に信じられた神です。なかでもカナロア、カーネ、クー、ロノの4人(※神々は「柱」を使ってカウントしますが、紛らわしいので「人」とします。)が良く知られます。ハワイでは四大神として特別の存在でもありました。ちなみに、ポリネシアの社会において「4」という数字は特別の意味を持ちます。四大神という表現の背景には「4」を重んずるポリネシア社会の思想がありました。

四大神と直接対話ができるのはアリイ・ヌイ(大首長)やアリイ(首長)と呼ばれるその土地の最高権力者のみで、高位の司祭(カフナ・ヌイ)がこれを仲介しました。

18世紀末のヘイアウ

18世紀末のヘイアウ


 

カナロア

カナロアはポリネシアの島々では最高位の神とされます。タヒチではタ・アロア、同じく、タヒチやトンガ、サモア、アオテアロア(ニュージーランド)ではタンガロア、あるいはタガロア、マルケサスではタカ・オアなどと呼ばれます。サモアでは海の神として崇められ、海に生息するあらゆる魚や波を司ります。カナロアは、神々のなかの神であるランギと、大地の女神パパの間に生まれた息子です。ちなみにサモアという国名は、「サ」という接頭語と、「モア」ということばで構成されていますが、モアはタンガロアの息子を指します。サモアという国はタンガロア(カナロア)の息子によってつくられたとされます。

タンガロアには次のような創生伝説があります。「天にタンガロアという神がいた。タンガロアは一羽の鳥を地に向かわせた。だが、地には海が広がっているばかりで、鳥は羽を休むことさえ出来ずに飛び続けた。天から様子を見ていたタンガロアは岩を海に放った。岩は数々の島となった。」

タンガロアは当初、神々のひとりに過ぎず、特別の存在ではありませんでした。しかし、海を司っていたため、海洋の民にとっては次第に不可欠な存在となったようです。やがて、タンガロアは妻のヒナとともにポリネシアのすべての神々を創造する存在となりました。自分の体をちぎって世界を創造したという伝説もあります。

マオリではサモアと同じく、タンガロアは天の神ランギ(ランギ・ヌイ)と大地の女神パパの間に生まれたとされます。タンガロアの兄弟にはハウメア(ハワイにおいてサメの神であるカーモホアリイはその息子です)、ロンゴ(ロノ)、タネ(カーネ)、タウヒリ、ツゥー(クー)がいます。

タンガロアは、ハワイではカナロアと名を変えました。ハワイでも当初は他のポリネシア諸国と同じく万物の創造主として崇められましたが、やがてタコの化身や、黄泉の国を司る存在ともなりました。そして18世紀末以降、キリスト教の布教がはじまると、いつしか、サタン(悪魔)と見なされるようになりました。この背景にはキリスト教宣教師などによる伝統宗教の否定運動があったとされます。

カナロアのイメージ

カナロアのイメージ


 

カーネ

カーネは創造の神として知られます。人間を創造し、その祖先となったほか、太陽や水など、森羅万象を司ります。カーネもまた、天界の神(カーネ・ワヒラン)、土地の神(カーネ・ル・ホヌア)、雨の神(カーネ・ホロパリ)、石の神(カーネ・ポハク)など、さまざまな呼び名を持ちます。カーネは他の神々と同じく、月の女神であるヒナを妻としたという説もあります。ちなみに、カーネ・ミロハイはカーモホアリイやペレ、カポ、ヒイアカ、ハウメアなどの父であり、空と大地を創りました。また、カーネ・ヘキリは雷の神として、ラロトンガ(クック諸島)では「われわれに食糧をもたらす存在」とか、「強大なる存在」、「首長を祝福する存在」、あるいは「嵐の海」などと称されました。カーネには「男性」という意味もあり、たとえば妻にとっては夫や夫の兄弟もカーネと呼ばれます。タヒチやニュージーランドではタネと呼ばれます。

『ハワイの神話』の表紙に描かれた神

『ハワイの神話』の表紙に描かれた神


 

クー

クーは戦いの神として知られます。ニュージーランド(アオテアロア)ではトゥー、あるいはトゥー・マタウエンガ、マルなどと呼ばれます。ハワイの神は、人々の祈願の内容によって、その名称や神像の大きさ、形状などが異なります。戦いの祈願をするときはクー・カイリモク、鳥を撃つ猟師はクー・フル・フルマヌ、漁師はクー・ウラ(赤いクー)を崇拝しました。ちなみに、ハワイでは赤い色は聖なる色とされます。これ以外にも、クー・コリイやクー・ラヴァ、クー・レヴァレヴァ、クー・パパア、クー・ヴァー、クー・ヴィーなどと、祈願の内容に応じてさまざまな呼び名がありました。

クーはカメハメハ1世が活躍した18世紀から19世紀にかけてとても重要な神でした。クックがハワイ島に上陸したとき、ロノ神と間違えられますが、彼はカフナ・ヌイとともにひれ伏して、クーに祈りを捧げたからです。ロノはそれより下位の神とされたということです。

クーの神像(ビショップ博物館)

クーの神像(ビショップ博物館)


 

ロノ

ロノは戦いの神(ロノ・マカイ)という一面もありますが、基本的には豊饒の神として知られました。秋になると数ヶ月に渡って行われる収穫祭(マカヒキ)では、もっとも重要な神となります。マカヒキ祭は10月から2月まで行われ、この期間は戦いが禁止されました。

ロノはアオテアロアではロンゴと呼ばれ、平和と農業の神であるとともに、幸福をもたらす神でした。ロノはまた、雲や風、海を司る神でもありました。ロノの妻はカーネやクーと同じく、ラカとされています。ポリネシアの神々は人を捧げる儀式(人身御供)が不可欠でしたが、ロノだけはそれを行うことを禁じられました。ロノはタヒチではロ・オ(ロ・オ・イ・テ・ヒリポイ)と呼ばれ、病人を治癒する癒しの神でした。また、サモアではロ・オ、マルケサスではオノと呼ばれました。

1779年2月、キャプテン・クックがケアラケクア湾に入港したとき、ハワイはマカヒキ祭の最後の期間にあたりました。ハワイの先住民たちは、ロノが白い大きな布を掲げながら島を一周し最後に彼らの前に現れると信じました。そのため、ロノ・マカヒキではロノのシンボルとして十字に組んだ木に白い布をかけたものを持ち、「エ ロノ!」と声を出しながら、数ヶ月をかけて島を1周しました。ロノの「旗」が通るとき、住民たちは大首長(アリイ・ヌイ)に対して行うように、ひれ伏して旗の通過を待ちました。クックの帆船(レゾリューション号)は、巨大な十字の木枠に帆をなびかせ、ハワイ島を半周し、絶妙のタイミングでケアラケクア湾に入港したため、本物のロノと思いこんだのでした。(※ただし、これには諸説あります。)

ハレ・オ・ロノ(ロノのヘイアウ)

ハレ・オ・ロノ(ロノのヘイアウ)


 

人間の創造

四大神はモーカプと呼ばれる島で地上のあらゆる生物を支配する人間を作りました。カーネは泥から自分たちに似せた形を創り、カナロアが最後の仕上げをしました。カーネはクーとロノに命じてこの泥のなかに塊を封じこめました。次にチャント(祈り)を唱えて生命を与えると、泥の塊は男となりました。四大神はこの男に「ヴェラ・アヒ・ラニ・ヌイ」 (偉大なる天は熱く燃える)と名付けました。

この男は神々の家で育てられますが、ある日自分の足元に黒い影が付いてまわることに気づきます。男は不思議に思い、その影にアカ(影)と名付けました。カナロアを除く神々は男が寝ている間に男の体を引きちぎり、女を創りました。ヴェラ・アヒ・ラニ・ヌイは、神々が自分のためにアカを女にしてくれたのだと考え、その女を 「ケ・アカ・フリ・ラニ」(天は影の姿を変える)と名付けました。やがて2人は人類の祖となりました。

創造された人間の名が、ヴェラ・アヒ・ラニ・ヌイとケ・アカ・フリ・ラニではなく、クム・ホヌア(大地の起源)という男と、彼の体の一部から創られたラロ・ホヌア(地底)という女であるという伝承など、人類創造説は他にも残されています。

筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。

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