歴史上の署名人が眠るオアフ・セメタリー
2018年最後のキルトパラダイスとなりました。今年も読んでいただきまして、ありがとうございました。今回のキルトパラダイスは、ハワイで活躍された著名人が眠るオアフ・セメタリーについてご紹介します 。
イオラニ宮殿のドーセントをしているということで、年に数回この様な研修のオファーがあります。歴史的な場所はとても興味があるので参加しています。今回はオアフ・セメタリーでガイドをされているナレット・ナポレオンさんのツアーに参加させていただきました。王族と関係のあった歴史上人物がこの墓地にはたくさん眠っています。その方達の功績とお墓を紹介してくださるという大変ユニークなツアーです。興味深いことが多々ありました。
ナレットさんは他の墓地のツアーもされていますが、お墓に誰が眠っているかということだけではなく、その人物の偉業を後世に伝えること、歴史を今に蘇らせることをミッションとして遂行されている歴史家です。ハワイ・セメタリー・リサーチ・プロジェクトのディレクターでこの30年以上も研究をやられています。また、お墓は屋外の博物館とおっしゃっています。オアフ・セメタリーでいくつものお墓とその人物を説明してくださいましたが、私が勉強した王族とともに歴史を刻んだ方々の話にはとても興味が湧き、共感しました。
最初に説明を聞いたのはアイザック・ディビスさんのお墓です。イギリス人でハワイにフェアアメリカンという船で航海中に、ハワイ島でハワイアンの人に襲われ、一命をとりとめたのがディビスさんでした。その後カメハメハ1世がハワイ諸島を統一し王国を作った時に、甚大な協力をしたのもこのディビスさんでした。残念ながらその後は誤解がもとで毒殺されてしまったそうですが、こちらのお墓に埋葬されています。その家系図もこのように見せてくださるナレットさん。最後のハイライトされているのはひ孫のルーシー・K・ピーポディさんで、カメハメハ4世のエマ王妃と親交が深かったそうです。エマ王妃は、ジョン・ヤングさんの孫でアイザックさんとジョンさんとはカメハメハ1世の腹心として一緒に仕事をされた方ということで、ハワイ王国の歴史が紐解かれて行きます。
次はジョン・ドミニスさんと一族のお墓です。この方の息子さん、ジョン・オーエン・ドミニスさんは後に最後のハワイ王国女王となられたリリウオカラニ女王の旦那様になる方です。ジョンさんはイタリア生まれの航海キャプテンでした。ニューヨークに移り住み、アメリカ人の奥さんと結婚し、息子が5歳の時にハワイに移住しています。ハワイから中国やアジアなどの国に貿易業を盛んにされていました。カメハメハ3世の時代、大きな土地をもらうことになりました。1846年に自分の家の家具などを購入するためアジアに向けて航海をしましたが、途中消息不明になり、そのまま帰らぬ人となりました。その後未亡人となった夫人は息子を育てるために、家を借りました。その場所は後に息子の嫁となったリリウオカラニ女王が余生を過ごし、現在ではハワイ州知事の公邸となっているワシントン・プレイスになります。。息子さんのジョン・オーエン・ドミニスさんはリリウオカラニ女王と一緒に王家の墓であるロイヤル・モザリウムに埋葬されています。
少し興味が湧いたのは、ジョン・オーエン・ドミニスさんは奥様のリリウオカラニ女王との間には子供はいませんでしたが、御付きの人との間に男の子がいました。後に寛大なリリウオカラニ女王は養子としますが、この方ジョン・アイモク・ドミニスさんとその子供たちもここに眠っていらっしゃいます。お墓を見ると今まで知らなかった事実も知ってしまうことになりますね。
アイルランド出身で事業家ジェームス・キャンベルさん家族のお墓はこのオアフ・セメタリーでも一番大きなものでした。やはりお金持のお墓は大きいのですね。アメリカで2年ほど大工をやり、もともとクジラ船の乗組員でしたが南太平洋で沈没しました。ラッキーなことに一命を取り止め、捕らえられたましたが、逃げることができタヒチで数年を過ごしたそうです。そのあと捕鯨船に乗り、マウイ島のラハイナに到着しました。そこから砂糖工場に携わり、数年の間にラハイナでは富豪の一人になりました。マウイ島、オアフ島、ハワイ島に土地を買い、のちには貴族の女性と結婚し、その後子供の一人はカラカウア王のお妃、カピオラニ王妃の甥であり、カワナナコア王朝を立ち上げたデイヴィット・カワナナコアさんと結婚しています。王国がなくなってしまったため、王とはなれませんでしたが、今でも彼の子孫は存命しています。カワナナコアさんとカワナナコアさんの長男はここではなく、ロイヤル・モザリウムに埋葬されています。
お墓の一番上に位置するのは骨壷であり、そこにドレープがかかっていることで、より権力があることを示しているそうです。また、永遠に消えない灯と意味することもあるそうです。
そして最後はイアウケア一家のお墓です。カーティス・ピエフ・イアウケアさんはハワイ王国の重鎮であり、王国崩壊後は共和国でも仕事をされた方です。その後は政府を辞め、リリウオカラニ女王の元で仕事をし、女王が亡くなる時もそばで看取った方です。その方と奥様、一家のお墓があります。2012年にはひ孫のシドニーさんがカーティスさんについて「女王と私」という本を出されています。非常に貴重な本です。現在はハワイ州ですが、王国から今までの歴史を色々な方向から勉強するのは非常に大切なことだと再認識しています。カーティスさんの奥様はアブラハム・リンカーンの親戚筋の方だということです。ハワイだけには止まらず、歴史が脈々と続いていること実感しますね。
ある時ナレットさんの歴史お墓ツアーに参加された方の中にイアウケア一族の方がいらっしゃったそうです。かなりびっくりされたとお話しされていました。自分たちの先祖の過去の働きなどを知りたかったのでしょうね。
お墓のツアー? と思われる方も多いかと思いますが、ハワイの歴史を深く勉強できる場として素晴らしい場所だということがわかりました。
ツアーは英語でしか行われておりません。ご自由に行くことも可能ですが、一応お墓なので、それなりのエチケットをお持ちになって行かれてくださいね。
私はマスターハワイアンキルターであったポアカラニさんのお葬式にこのセメタリーに来たことがあります。素敵な王冠のキルトをお棺にかけられていたことを思い出します。こちらのお墓のどちらかにいらっしゃるかと思うと、特別な感情が湧きます。残念なことに今年10月にポアカラニさんのご主人、ジョン・セラオさんがお亡くなりになりました。出張のため、お葬式には参加することができず残念でした。ジョンさんも奥様と一緒にこちらの地で安らかに眠っていただきたいですね。
今年もありがとうございました。2019年もどうぞよろしくお願いいたします!
By アン
☆ハワイアン航空、日本語機内誌「ハナホウ」2018年10月から12月号に10ページに渡り、紹介していただいています。ハワイアン航空に乗られる方、ぜひご覧ください!
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筆者プロフィール
- アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2010年スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)にてキルト展を開催。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。2012年7月、電子本「キルトストーリー」を発売。2012年9月、スパリゾートハワイアンズへ、フラガール・フレンドシップキルトを寄贈。2013年11月より、イオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを開始。2021年7月には誠文堂新光社より「ハワイアンキルト パターンとステッチの魅力」の増補改訂版を発売。ハワイ、日本での展示会やレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。ハワイ在住34年目。
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