アローハ!
先日、久しぶりにハワイ州知事の公邸であるワシントン・プレイスでのイベントに呼んでいただきました。今日はその時のことをご紹介いたします。
ワシントン・プレイスはこのキルト・パラダイスでも何回かご紹介しています。前回はリリウオカラニ女王の終の住処としてご紹介させていただきました。
https://pacificresorts.co.jp/kawaraban/quilt/washington-place-hawaii/
イオラニ宮殿のドーセント(館内のガイド)をやらせていただいて10年が経ちました。その間にワシントン・プレイスでドーセントも挑戦させていただくことになっておりましたが、コロナにより、その話も先延ばしになっています。そんな折、ワシントン・プレイスでのイベントにイオラニ宮殿のボランティアとスタッフが招待されました。以前にもご紹介したリリウオカラニ女王とワシントン・プレイスの本を書かれたリアナ・ウィリアムスさんと歴史家のキャロル・シルバさんのお二人により、1915年にリリウオカラニ女王が新聞のインタビューを受けた時の様子をリアナさんがインタビュアー、キャロルさんがリリウオカラニ女王に扮し、約1時間のやり取りを再現してくださいました。リリウオカラニ女王が亡くなる2年前にされたというインタビューの中には、とても興味深い話がいくつもありました。2020年に発売されたリリウオカラニ女王のダイアリーという本を参考にされたものだと思われますが、ハワイ王国が自分の時代に転覆し、国民から王国を無くしてしまったという責任と後悔をずっと持ち、79歳まで生きた苦悩を含んだ一生を後世に伝えています。
中でも王国が無くなった後、アメリカ合衆国に併合された時のショックが一番大きかった日と伝えています。兄であるカラカウア王が旅先で亡くなり、急にハワイ王国の女王になり、その後まもなく、夫であったジョン・オーウェン・ドミニス氏が亡くなってしまい、頼れる人がまわりにはいなくなってしまいました。その2年後にハワイ王国が転覆し、女王の心境は想像もつかないほどものだったということは事実でしょう。そんな苦しみの中、国民の革命により、自ら逮捕され、裁判によりイオラニ宮殿の2階の一室に約8ヶ月もの間幽閉され、その後は夫の実家であったワシントン・プレイスに移り住み余生を送った人生でした。
ドミニス氏と結婚してからも姑との仲がずっとこじれたままだったという事実を語っています。本国からの白人の一家とハワイで生まれたハワイアンとでは肌の色も違い、その事実が姑とは一生わだかまりになったと語っています。同じ屋根の下にいても、平和に過ごすために、リリウ(ここからはリリウオカラニ女王のニックネームのようなもので書かせていただきます)は敷地内ではある別の棟で生活をしていたと語っています。二人には子供に恵まれませんでした。そのこともありハナイと言ってハワイではよくあった養子制度のようなもので養子を育てていました。がある時、ドミニス氏が外の女性に産ませた男子を引き取る事になり、リリウがほぼ育てることになったと語っています。今の世の中では絶対に許せないような(女としては)事ですが、リリウは耐え忍び、誇れる男子に育てたと語っていました。この子はリリウの誇りになりました。苦悩の中にも素晴らしい喜びはあったと語ってもいました。
本ではこのような内容のことは読んだことがありましたが、お二人のやり取りを目の当たりにすると、もっともっとインパクトがある物語というか事実を肌で感じとることができました。残念ながらイベントは写真撮影ができませんでしたので、お二人の様子の画像はないのですが、その分頭と心でこのプレイを見ることができました。
素敵なお洋服も大好きだったと語っています。リリウは語っていませんでしたが、王国転覆後は大好きだったラベンダー色のドレスなどは着ることがなく、黒いドレスを一生着ていたと読んだことがあります。これはリリウの国民と王国への気持ちの表れだということでした。カラフルで素敵な素敵なお洋服も着なかったのかと思うと、やはり心が痛みますね。
公邸の庭もすべてリリウが好きな植物を揃えていました。本人自らガーデニングをやられたとのことでした。それが心の癒しにもなったと伝えています。正面になったタマリンドの実はかなり酸っぱかったとも語っていました。
このような普段に話をこのプレイで聞けることは、リリウオカラニ女王の普段を知ることのできる貴重なものと感じました。
途中マイクのハウリングが尋常でない音になり。。。私はすぐに女王がそこにいらっしゃっていて、皆さんを暖かく迎えてると思いました。ワシントン・プレイスに行くとこのような素敵な(皆さんにとってはちょっと怖いかも?ですが)体験をさせてもらえます。このような素敵なイベントをしてくださった皆さんに感謝です。
前回お伝えしたマウイ島の花のロケラニ・ローズですが、マウイ・ストロング基金のためのポットホルダーサイズのロケラニローズのデザインをしました。こちらは今後ネットショップなどにて、発売し、売上のすべてはマウイ・ストロング基金に寄付をさせていただきたいと思います。
アン
筆者プロフィール
- アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2010年スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)にてキルト展を開催。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。2012年7月、電子本「キルトストーリー」を発売。2012年9月、スパリゾートハワイアンズへ、フラガール・フレンドシップキルトを寄贈。2013年11月より、イオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを開始。2021年7月には誠文堂新光社より「ハワイアンキルト パターンとステッチの魅力」の増補改訂版を発売。ハワイ、日本での展示会やレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。ハワイ在住34年目。
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