土地の起源
ワイアルアとは、オアフ島の北西部に広がる地域で、南西はハレイヴァ・タウンに隣接し、西はカエナ岬、北はワイメア湾のカパエロア、南はワヒアヴァに囲まれています。伝統文化時代には、漁場として栄えました。ワイアルア*とは「2つの水」という意味ですが、その内容にはいくつかの解釈がありますが、2つの川、2つのロイ(タロイモ水田)、ケモオ湖に注ぐ2つの川、あるいは、二重に恥をかかされたワイアという評判の悪いアリイ(首長)の名前を指すと言われます。
*ワイアルアはワイルアとも呼ばれました。
ワイアの物語
ワイアルアの名前にはいくつかの由来があります。ひとつは、ハーロアとヒナマウオウルアイの息子で、ワーケアの孫であるワイアにちなんで名付けられたというものです。ワイアは非常に残酷なアリイ(首長)で、腐敗しきった政治を行ったことで知られます。ワイアのことを良く思う人は皆無だったと言われます。彼は、神々に祈り、土地を治め、国が繁栄するように住民を大切にするようにという父王の指示を無視しました。その行動は感情にまかせたもので、例えば魅力的な脚を持つ美しい女性を見つけるとその脚を切らせたり、美しい刺青をしている人を見るとその人を殺させたりしたのです。
一帯の歴史
ワイアルアに先住者が定着したのは11世紀初頭と言われます。土地は肥沃で、さまざまな作物を栽培しました。とくに伝統文化における主食であるカロ(タロイモ)とウアラ(サツマイモ)は大量に生産されました。一帯には多くの湧泉もあったことに加え、豊かな漁場もあったため、人口は増え続けました。
ノースショアからハレイヴァに至るワイアルア一帯の土地はオアフ島においてもっとも重要視されました。クーカニロコを含む一帯の土地(アフプアア)は、歴代のアリイ・ヌイ(大首長)によって600年以上も受け継がれました。この慣わしは、19世紀初頭にカアフマヌが古いハワイの伝統文化の根絶を宣言するまで続き、オアフ島の宗教的なシンボルとされてきました。
砂糖産業の興亡
王国以降はサトウキビ農場が切り拓かれ、製糖工場が建てられました。これに伴い、移民労働者の住宅や商業施設が、ワイアルアと隣接するハレイヴァに作られました。
今日、ワイアルアの住民の多くは、20世紀初頭に拡大した砂糖産業に関わっています。砂糖の需要増大に伴い、中国やポルトガル、日本、韓国、プエルトリコ、フィリピン、スペインなどから多くの労働者が呼び寄せられました。しかし、1980年代後半から1990年代になると、人件費や生産コストの高騰により、砂糖の生産量は減少の一途をたどりました。ワイアルアにおける砂糖産業はその後に終焉を迎えましたが、当時の労働者たちの多くはこの地に残り、現在はその子孫が暮らします。
なぜ彼らはワイアルアに留まっているのでしょうか。それは先にお話ししたワイアに繋がる文化とも言えます。ワイアが父の命令を無視したために国が荒れたことを教訓として、この土地を愛し、大切にすることを義務としてきたとされます。
ワイアルア・コーヒーの誕生
ワヒアヴァとワイアルアの間の、ノースショアを見下ろす高台に63ヘクタールのコーヒー農園があります。この土地は、かつてドールの子会社であったワイアルア・シュガー・カンパニーが運営するサトウキビ農園でした。しかし砂糖産業の衰退に伴い、農園は1996年に閉鎖されました。当時50平方キロメートルの敷地があり、その半分を所有していたドール社は、この土地をどのように活用すべきか考えました。ドール社は多角的な農業プログラムを重視しており、パパイヤやマンゴー、さらには熱帯の花など、さまざまな作物を植えて試験をしました。その結果、コーヒーとカカオのふたつが栽培に適していると判断したのです。この結果、ワイアルア・エステート・コーヒー&チョコレートが誕生しました。
ワイルアの今後
今日のワイアルアはハレイヴァの賑わいをよそに、ひっそりとした佇まいを見せていますが、2017年には、ワイアルア近郊に49メガワットの太陽光発電所を建設が決まり、2019年に操業を開始しました。また、ワイアルア・コーヒーはワイン酵母を用いた新しいコーヒー豆で注目を集めており、コロナ禍が治まれば、再び観光客があふれるようになるでしょう。
筆者プロフィール
- カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。
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