ハワイ語でカーカウと呼ばれる入れ墨の文化はポリネシアの島々に広く根づいてきました。ポリネシアにおける入れ墨の起源は2000年以上前にタヒチで発生したとされます。タトゥーという言葉の起源は、タヒチの島々に伝わるタタウです。そのデザインには、タヒチの文化と人々の歴史が刻まれています。身体に描かれるひとつひとつの線を通じて、ポリネシア人の過去、現在、未来が繋がるとされました。
タタウの神「トフ」は、海のすべての魚に現在の色と模様を与えたとされます。トフはタタウのひとつひとつに意味と生命を与えました。また、天国と地上を結びつけます。ポリネシアでは、タトゥーは美しさの象徴であるとともに一人前であることの証であり、暮らしのなかで重要な役割を果たしてきました。
神話と入れ墨
タタウの起源については多くの伝説があります。すべてに共通しているのは、入れ墨は神から人へ授けられたという点です。タヒチのある伝説によれば、原初のタタウが、ポリネシア世界の万物の創造主である最高神タアロア(ハワイにおけるカナロア)の息子たちに施されたとあります。この息子たちがほかの人々にタタウを教えたことから人間社会に広まったとされます。このことからタアロアの2人の息子であるマタマタとツライポもタトゥーの守護神とされました。
入れ墨の歴史は天地創造に連なる神々の物語を生み出しました。入れ墨を通じて神々と連なり、加護を求めたのです。入れ墨には「厄除け」、「地位」、「デザイン」、「イニシエーション(通過儀礼)」などの意味があります。
歴史上の起源
タトゥーの起源はタヒチであると言いましたが、これは口承伝承として残されていることであり、後述するように、実際はそれ以前から定着していたようです。紀元前2世紀頃、海上交易をきっかけとした南アジアからの移民たちがポリネシアの島々に拡散しましたが、タトゥー文化はすでにこの頃から人々の間に存在していたと言われます。とくにマルケサス諸島では、そのモチーフの豊富さや複雑さの観点から、タトゥーがアートとしての頂点を極めました。
語源
タヒチやハワイでは、マナと呼ばれるスピリチュアルな力は、それをあまり持たない人にとっては危険なほど強いものだと信じられたため、使用に制限(タプ)がありました。タプ(ハワイ語ではカプ)とはタブーの語源ですが、ここでは「隔離」という意味合いです。しかし、関係する者すべてを隔離していたのでは暮らしが立ちゆかなくなるので、力を制限するものとしてタパ(カパ)と呼ばれる衣を身につけました。このとき、人々の関係を保つ役割としてタトゥーが用いられました。タプ(カプ)には重要ないくつかの意味があり、文脈によって使い分けます。「規則(ルール)」、「禁忌(忌避)」、「禁止」、「聖地」が代表的な意味ですが、ここでは4番目の「聖地」に近い意味として用いられました。
共通の要素
サモアやアオテアロアの入れ墨文化はデザイン、染料、手法などにおいて、ハワイと多くの共有要素があります。 ハワイにおいて入れ墨を執り行うカフナ(熟練者)はアリイ(首長)に匹敵する社会的な地位がありました。カフナはデザインや配置などを決めるにあたり、いつ、だれが、どのような状態(状況)で使うかについての権限を持ちました。入れ墨の儀式を行う際には、断食をして身を浄めるなど、さまざまなカプ(規則)も存在しました。ちなみに、額に入れ墨を入れることができるのは大首長か、その妻のみとされました。しかし、瞼への入れ墨は敗北した敵に彫られる屈辱の印とされました。
伝統社会における役割
ヨーロッパの影響を受ける前のポリネシア社会では、タトゥーは住んでいる場所、部族、家系、社会的地位などを示すことがあり、社会生活で重要な意味を持ちました。また成人や結婚など、重要な社会的儀式をすでに終えていることを表す場合もありました。あるいは戦場での勇敢な行動や狩りや漁の腕前など、人生における偉業を示すこともありました。タトゥーの目的は広範囲にわたったのです。
人類学者のアンヌ・ラヴォンドはタヒチのタトゥーについて次のように語っています。「タトゥーを彫ることは強制されていないが、タトゥーが身体のどこにもないというのは、タヒチ人にとって受け入れがたいことだった。」このことはポリネシアの他の島々でもほぼ同じでした。
さまざまな種類のタトゥー
タヒチにおいては、タトゥーは3種類に区別されます。ひとつは祭司や首長が彫ることのできる神のためのタトゥーです。これらは世襲で子孫へと引き継がれました。フイ・アリイという種類のタトゥーは、男女を問わず首長だけが彫れました。フイ・トア、フイ・ラアティラや、イアトアイ、マナフネという種類のタトゥーは、戦いの指導者、戦士、踊り手、舟の漕ぎ手などが彫るものでした。
神聖なるもの
入れ墨の重要な要素は神聖さです。神から受け継いだと信じられた入れ墨には、超自然的な力が宿ると信じられました。入れ墨のモチーフには、人間がマナ(霊的な力)を失わないように守るとされたものがあります。それらは身体の健康や精神を安定させ、多産を祈り、悪い影響から人間を守る崇高で神聖なものでした。
来世での役割
入れ墨は現世を超えた存在でした。入れ墨は永遠に身体に残るため「死後、神の国とされるハワイキで神々の前に戻ったとき、肌に彫られた変わることのない印によって、その人の出自、地位、勇敢さを伝えるものだった」と、ドイツの民俗学者であるカール・フォン・デン・シュタイネンは説明しています。
入れ墨の配置と道具
マルケサス諸島では、人々は住み着いた島ごとに固有のデザインとモチーフを発展させました。入れ墨は、マルケサス諸島ではパツ・ティキと呼ばれました。これは「イメージを刻印する」という意味があります。当地では顔を含め、身体全体をタトゥーで覆う慣習がありました。
伝統的なタトゥーの道具は、骨、べっ甲、真珠母貝から作ったギザギザの歯の付いた小さなクシを木製の取っ手に固定したものです。ティアイリ(ククイ)の墨を油や水で薄めた染料に、ギザギザの歯を浸します。その歯を肌に当て、取っ手を木片で叩くことで、皮膚を傷つけ、インクを染み込ませます。伝統的な道具でタトゥーを彫ることは、大きな苦痛を伴う上に、数日、数週間、数カ月、場合によっては数年もかかりました。そのため、通過儀礼としてのタトゥーの重要性がいっそう高まりました。
(次回に続く)
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