自然の模倣としての入れ墨 

ハワイでは彼らの故郷である他のポリネシア地域と同じように、ハワイ語でカーカウと呼ばれる入れ墨の習慣を持ちこみました。カーカウの基本となるのは彼らの故郷のひとつであるタヒチで、そこではタータウと呼ばれました。今日、英語でタトゥーと呼ばれる入れ墨は、ポリネシア語を基本としています。

ハワイ人にとっての入れ墨は装飾的な意味のほかに、地位や勲章的な意味もありますが、それ以上に重要だったのが厄除けです。厄除けと言えば家の周りに配するキー(ティーリーフ)が思い起こされます。また、さまざまなレイも厄除けが基本です。小さなカヌーでたどり着いた先住の人々の持ち物は最小限で、これからどのように生きていくのかを考えるだけで精一杯だったはずです。しかし、地鳴りとともに噴き上がる火山や、夜の森に恐怖を感じていたに違いありません。未開の地では、強い心を持ち合わせなければ生きていけなかったことでしょう。彼らは無事に生き抜くことができるよう、お守りとしてレイとともに入れ墨を彫ったと考えられます。

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玉転がしに興ずる全身入れ墨の男 画:ジャック・アラゴ 1819年

お守りには、安全、健康、幸福、厄除けなど様々な意味合いが込められました。やがて社会が少しずつ安定すると、入れ墨はお守りの意味とともに、新たな表現を持つようになりました。社会が支配者階級と平民階級、奴隷などに分かれると、高位のものだけに許されるデザインなどが出現しました。三日月型(ペアヒ・ニウ)やトカゲ(モオ)のデザインは最高位の人物にのみ許されました。

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ハワイ島のアリイ(首長)でカアフマヌの兄弟であるクアキニ。手に西欧の剣を持つ 画:ジャック・アラゴ 1819年

男性または女性にのみ彫られるデザインも出現しました。入れ墨を施す場所にも決まりができるようになり、男性の場合は脚と腕、胴、顔に彫られ、女性は手、指、手首に彫られました。まれに舌に彫られることもありました。

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指に入れ墨を施した女性

入れ墨(カーカウ)は人生の主要な節目に彫られました。神に対するときには敬虔の念を、親族が亡くなったときは愛情と哀しみの念を、戦いのときは勇気の念を込めたのです。また神に捧げるような究極のフラにおいては、オーラパ(踊り手)は左手を黒く塗りつぶすこともありました。捕虜を手に入れたときは、身分を卑しめる入れ墨も施されました。

 

道具

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入れ墨を彫る道具(オアフ島)

入れ墨を彫るのに用いられた道具には時代とともに変遷があったようです。故郷のタヒチでもっとも普及していたのは木の柄にトゲを縛りつけたものでした。先住のハワイ人はこれらを持参するか、ハワイの植物を利用して制作したことでしょう。しかしやがて新しい道具が考案されていきます。これらの道具は、オアフ島のマカニオル(クリオウオウ付近)やカウアイ島のヌアロロで発掘されています。素材は鳥の骨などが用いられ、ハワイ島で発見されたものはタカラ貝やウニのトゲ、魚のトゲなどが用いられました。

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入れ墨を彫る道具(ハワイ島)

入れ墨師は訓練を積んだカフナ(熟練者の意味)が行いました。尖らせた骨やトゲを素材とした針を先端に付けた棒で鋭く彫られました。重要なことは彫りの技法は門外不出であったことです。入れ墨を彫り終えると、カフナは道具一式を破壊して捨てました。これはカプ(規則)でもあったのです。それゆえ、入れ墨の持つデザイン的な意味合いや材料、道具などについて、今日知られていることはほんのわずかでしかありません。

体に施す入れ墨のデザインについては、機会を改めてお伝えする予定です。

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筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。