なんだか寒い日が続くカウアイから、お久しぶりです。
いま私は、セーターを来て、ロングパンツにモコモコ・ニーハイ・ソックスを履いて、コンピュータに向かっています。意外に思われる方も(私の周囲では)多いのですが、ハワイは常夏ではないのです。風向きに左右されて、気温がアップダウンします。加えて、我が家のあるワイルアは、Mauka (マウカ:山側を意味するハワイ語)にあり、さらに家の外壁と内壁の間に断熱材を入れているために、夏は涼しいのですが、冬は寒い! 毎年のように2月~3月にかけては、朝はベッドから抜け出しがたく、電気ストーブがほしい!と思います。
先月、日本に2週間ほど行っていましたが、滞在中は25度にまで気温が上がる日があったり、出かけた先の屋内や、外出先から戻ったホテルの部屋には暖房設備が整っていたりと、寒さ対策が整っている分、そんなに寒い思いをしないまま快適に過ごしました。
さて「カウアイ日記」という名前でこのページを書かせていただいていますが、私の日常は、暮らしの合間に旅がある、もしかすると日数的には、旅の合間にカウアイの暮らしがある … と言った状況になっていることがあります。とくに去年はまさにそういった状態でした。
去年の9月に、私が踊っているハラウ(フラの教室)では大きなプログラムがありました。このプログラムのインテンション(意向)は、「フラ・ファミリー(同じフラのラインにいるフラを通しての家族)で、自分たちが受け継いでいるフラの歴史や踊り、想いをみんなで共有する時間を持ち、祝福しよう」と言うもので、2008年に日本・・・富士山の麓で始まりました。さらにその背景には、私のクム・フラ(フラの師)のお母さんでやはりクム・フラでもあったアンティ・ラニ(本名:Kaaiikawahakekau'ilani Correa Kalama)が始めた「すべての人にハワイ文化をアロハの精神とともにシェアしたい」と言う活動を始めて、50周年にあたる祝福の時間でもあり、一連のプログラムにひと区切りをつける時間を持つというものでした。
プログラムの名前は「In The Name of ALOHA(イン・ザ・ネーム・オブ・アロハ … アロハの言葉のもとに)」。
フラ・ファミリーにあたるハワイ各島のクムたちに会いに行くため、その説明をするミーティングに出席するため、参加するメンバーたちへのレッスンへと、ハワイ各島、日本、ヨーロッパにクムに同行する日が続きました。ダンナさんのウォーレンは私が家に戻ると「今度は何日後に出かけるの?」と苦笑していたものです。まさに「フラ」で埋まった暮らし…です。周囲には「それだけ家を空けて、夫婦関係にミゾとか出来ないの?」と心配してくださる方々も多かったのですが、幸運にも柔軟性に富むダンナさんに恵まれてか、夫婦安泰に暮らしています。(笑)
時々は私自身も、こんなにも多くの時間とエネルギーをフラに費やしていて大丈夫かしら?と思うことがないと言えばウソになります。が、私がフラを始めた理由のひとつには、「先住民文化を継承する人々が、どうやってそれらを次世代に継いでいくのかを見て、記録したい」というものがありました。そして性格的にも、興味を持つと、自分を「中毒状態」に陥らせる傾向にもあるので、今のような暮らしが出来上がっているわけです。
日本のメンバーにとっては、2006年から「そこに向かう」というインテンションを持ったメンバーで始め、2008年(日本)、2010年(ハワイ・カウアイ島)、2012年(ドイツ、スイス、オーストリア)、2013年(日本)のプログラムを経て、昨年、2015年に一連の活動のひと区切り、締めとなるこのイベントを迎えました。
私自身のハイライトは、各プログラムの際に行われる「AHA(アハ)」… ハワイ語で集まりという意味 … 。過去に同じクム・フラから学んだクムたちが、それぞれの生徒を連れて参加するカヒコ(伝統フラ)の儀式です。クム(師)、ホオパ(詠唱者、チャンター)をウニキ(卒業)したメンバーがイプヘケ、パフといったフラの楽器とともに座り、オラパ(踊り手)がそれらの音、チャンティングと共に踊ります。9月の儀式では、40人以上のクム、ホオパが集まり、イプやパフを鳴らし、一緒にチャンティングをし、大勢のオラパがそれとともに踊りました。頭上には満天の星空、足の下は白砂のビーチです。
この儀式の素晴らしさは、普段から一緒にレッスンをしているワケでもないメンバーが(何十年ぶりに会ったというクムたちもいました)一堂に集い、まるでさっきまで一緒にレッスンしていたかのように、息をひとつにし、声をひとつにし、ひとつのサウンドを作り、振り付けの違いはありながらも、ハラウを越えたオラパたちが一緒に踊るということです。どうしてそういうことが出来るのかと言うと、自分が学んだフラを、各クムが「自分の手によって、自分のフィルターによって変えない。伝統を守る」と言うことを基盤にしたフラを生徒たちに伝えているからです。
息や声をひとつにして、四方を自然に囲まれた波際で、ひとつのサウンドとなるエネルギーを作っていくこと、その時間に溶け込んでいく感覚。いま自分たちが踊っている、あるいはチャンティングしているサウンドは何十年も前から受け継がれてきたもの。そういう意味で過去とも交差する時間です。自分がその中のほんの小さな小さな一粒でいるということが、自分を謙虚な気持ちにもさせてくれ、感謝と言うものが湧いて来る時間でもあります。
私のクム・フラ、プナ・カラマ・ドーソンが時折り使う、
One Breath,
One mana'o
(呼吸をひとつに、想いを一つに)
というフレーズが私は好きです。違う文化の中で生まれ育った他国の人々、また母国が同じでも違う価値観を持って生きている人同志が、”息をひとつにして”、”想いをひとつ” にして時間を共有したり、ひとつのプログラムに臨むと言うのは簡単なことではないと思っています。それがフラの儀式の時間には、出来てしまうことがある。それを実現出来てしまうのが、フラというものが持つひとつの側面、可能性のように思い、そこに希望を持つことがあります。
印象に残っていることがあります。2010年 … 6年前にカウアイでプログラムをした時に、ドキュメントのためにビデオを回してくれていたカメラマンが参加メンバーにインタビューをしていました。私もインタビューを受け、「フラが世界に発信できるものは、何だと思いますか?」と聞かれました。周りのみんなはその時々の自分の想いを、時に破顔の笑顔とともに、何人かは感動の涙とともに語っていたのですが、私はその問いに答えられなかったのです。「う~ん、なんだろ?」… と下を向いて考え込んだ私にカメラを向けていたカメラマンが「も~、いいよ。重くてカメラをかかえてられない」と苦笑しながら機材を降ろしていたのをよく憶えています。ホテルの部屋に帰ったカメラマンが、スティールカメラマンとしてコクア(サポート)に来てくれていた高砂(淳二)さんに、「ダメだ、ミノリのコメントはいつも使えない」と言っていたと大笑いしながら、後になって教えてくれました。
けれど、実はそれ以来「フラが世界に発信できるものって何だろ?」と言う問いがいつも頭や心の隅にぶら下がってきたように思います。
6年が経って、いまだったらあのインタビューに答えられるかも~と言う自分がいます。まだ「かも~」ですが … 。
フラの旅に出かけ続けてきた時間が自分の中で、「どうしてフラをするのか、続けるのか」と言うことへの輪郭をクリアにしてくれ、反面、さらなる様々な問いを自分に課してきてもいます。どういったものであれ、旅と言うのは自分自身と出会い続けていくことだなという想いが強まるばかりです。フラをすること、暮らすこと、けっきょくすべては自分を知ることなんだろうな~と思います。これを読んでくださっているみなさんもきっと、日常の中でさまざまな自分に出会われていることだと思います。
わりと好きだな~と思える自分でいられたら、それで上々だと思っています。これからも、「どうしてフラをするのかな~」と言う問いかけを自分にしながら、踊り続けていくのだろうなーと思う自分がいます。
筆者プロフィール
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