自然と歴史

ヒロはハワイ島の北東部に位置するハワイ州の中核都市です。総面積は約151k㎡、そのうち8%ほどが川や貯水池などです。ここはハワイ州第4の都市で人口は約4.4万人、オアフ島以外では最大の町です。いまから100年と少し前の1910年は7000人に満たない小さな町でした。その後、欧米人やアジア人などが大量に流入し、今日の人口となりましたが、ここ30年ほどの伸びは緩やかです。ハワイ州には全部で5つのカウンティー(郡)がありますが、ヒロの町にはハワイ郡の郡庁舎が置かれています。

ダウンタウン

ダウンタウン

 

ヒロは熱帯雨林気候で、年間を通じて雨が降ります。ほぼ毎日降ると言って良いでしょう。合衆国では4番目に雨が多い町として知られます。ここ数十年の統計によればヒロ空港では年間272日、年平均約3220mmの雨が降りました。雨は標高が高い土地ほど多く、標高1800~2000mでは5100mmを超えます。ただしこの雨はたいてい早朝に降るので、人々が活動しはじめる時間帯には青空が広がっていることが少なくありません。

月の平均気温は、最低が2月の21.8°C、最高が8月の24.7°Cです。1年を通じて大きな変化がないと言えるでしょう。記録された最高気温は34°Cですから、気候変動が起きている今日の世界では、夏季は日本の方がハワイ諸島よりも暑いと言えます。

ワイルク川の観光名所レインボー・フォールズ

ワイルク川の観光名所レインボー・フォールズ

 

ヒロの町の歴史は千年ほど前に遡ります。紀元1100年頃、マルケサス諸島から到来した人々が最初にこの町に住み着いたとされます。当初は町中を流れるワイルク川とワイロア川(ワイアーケア川)沿いに住みました。ちなみにヒロというハワイ語には「ひねる」「ねじる」という意味がありますが、町名の由来は、ポリネシアに広く知られた航海士の名から付けられたとされます。

ヒロは今日、行政区域としてノース・ヒロとサウス・ヒロに分かれますが、その昔はハワイ島のほぼ東半分を占める広大な地域すべてがヒロと呼ばれました。1823年、キャプテン・クックの探検航海の際に同行した記録係のウィリアム・エリスは、当時の主要な居住地はヒロ湾の南に位置するワイアーケアと報告しています。その後に移り住んだアメリカの宣教師たちもこの地に定住し、キリスト教会を建てました。**

ヒロ周辺から集まった日系人たちとボンダンス

ヒロ周辺から集まった日系人たちとボンダンス

 

19世紀以降、ヒロでは町の周辺に多くのサトウキビ畑が作られ、中国や日本などから多くの労働者が集まりました。その結果、今日に至るまでアジア系の移民は人口の多くを占めます。

ヒロは4000mを超えるマウナ・ケアとマウナ・ロアの東麓に位置するため、ワイルク川などの豊かな土壌と水源を持ち、古くから栄えてきました。しかしその一方、度々噴火する溶岩や、鉄砲水などに苦しめられてきました。

マウナ・ロアから臨むマウナ・ケア

マウナ・ロアから臨むマウナ・ケア

 

火山については先住の人々の時代から活発に溶岩を流していて、ときに人々を殺傷し、また集落や畑を潰しました。溶岩がつくり出した島は雨水を溜めにくく、淡水を確保するのはとても苦労しました。そのため、数少ない谷間などは権力者によって独占されました。

カヌーで到来した先住の人々(絵はハーブ・カーネ)

カヌーで到来した先住の人々(絵はハーブ・カーネ)

しかしそのような土地も、ときに大きな災害に晒されました。ヒロもその例外ではありません。ヒロ湾は漏斗状になったその末端に位置するため、ツナミの被害を受けやすいのです。湾には1929年に防波堤がつくられましたが、1946に起きたアリューシャン列島近くの地震のせいで高さ14mのツナミがヒロの町を襲い、160人もの市民が犠牲となりました。その後に太平洋津波警報センターがつくられましたが、1960のチリ沖地震で発生したツナミでまたも61名が犠牲となりました。一部の人たちが警告サイレンに従わなかったためです。今日、海岸に面した広い低地は非居住地域に指定され、公園が広がっています。またツナミ博物館がつくられ、過去の災害を忘れぬ努力をしています。***

ツナミ・ミュージアム

ツナミ・ミュージアム

名所旧跡

観光に関しては、空港に添って伸びる海岸にいくつものビーチがあるほか、北のオノメアと植物公園から南のヒロ動物園までさまざまな施設があります。しかしそれ以上にヒロを有名にしているのは、毎年春の復活祭から1週間にわたって開催されるメリー・モナーク・フェスティバルでしょう。フラの祭典と言われるこのイベントには世界中から参加者や関係者、観光客が集まります。また、ハワイ州最大のオーキッド(蘭)ショーも多くの人を集めます。1951年から開催されているこのイベントにも世界中から関係者や観光客が集まります。ちなみに今年は7月28日から3日間行われます。

この町は半世紀以上もその外観をあまり変えていません。パレス・シアターなどのダウタウンの商店街や、若きカメハメハが動かしたという巨石が置かれた公立ヒロ図書館や小中学校など、町の雰囲気はほとんど変わっていません。古い地図に掲載されている観光名所や主な施設はいまもほとんどが同じ場所に同じ建物で存在しています。

ヒロ中学校

ヒロ中学校

ナハ・ストーン

ナハ・ストーン

はるか昔から大きな変化がないように見えるヒロの町ですが、今日の町は1960年代の、内陸部への拡大後の姿です。ダウンタウンは1980年代にいくつか変わりましたし、水族館など、建物内部に新しい施設が作られてもいます。ハワイ大学はホノルルのマノア地区に本部を構えていますが、ヒロにはヒロ・キャンパスがある他、マウナ・ケアの天文台と連動したイミロア天文学センターがあります。

イミロア・センター

イミロア・センター

 

注釈

*1)Downtown Honolulu(350,964)、2)East Honolulu(50,922)、3)Pearl City(45,295)4)4Hilo(44,186)、5)Waipahu(43,485)、6)Kailua(40,514)、7)Kaneohe(37,430)、8)Kahului(28,219)、9)Mililani Town(28,121)、10)Ewa Gentry(25,707)/ 2020年現在
**ヒロ最古の教会はこの地区に建てられたハイリ・チャーチとされます。当初は藁葺きの建物で、今日に見られる教会は近年に建て替えられたものです。
***ツナミ・ミュージアムには東北大震災のコーナーも設けられています。

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筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。