先日、私のクム・フラ(フラの師)の従姉妹でアメリカ本土でクム・フラとして活動しているアンティのウニキ・セレモニーのコクア(サポート)と立会いをさせてもらう機会があった。
ウニキ(UNIKI)というのは、フラを学んでいる者にとっては「卒業」の儀式にあたるもの。
フラを学んでいく中では、オラパ(Olapa)、ホオパ(Ho’opa’a)、クム(Kumu)またはコクア/カコウ・クムの三段階の「卒業」がある。
オラパ(Olapa)は、踊り手としての卒業。
ホオパ(Ho’opa’a)は、チャンターとしての卒業。
クム(Kumu)またはコクア/カコウ・クムは、フラを教える者、継承するものとしての卒業。
これらをどの段階で卒業させるかはクムのさい配になるのだけれど、その判断をするのはクム自身である。
ハラウによってその判断基準には違いがあって、それぞれの段階を卒業する知識、技術を習得した人をウニキする場合。または、そのハラウの中でその役割りを担う必要があるとされた人にKuleana(責任)を渡す場合などがあり、ウニキといっても、ハラウによってそのニュアンスは少し違ってくるようだ。
私が所属しているハラウの場合は、後者の方。同じ段階をウニキしたとしても、各自に渡される役割り、Kuleana(責任)は違っているということが見える。
また、どの段階をウニキするにあたっても、各段階でその中にまた細かなプロセスがあるので、ウニキをキチンと把握するのは単純ではない。
たとえば、オラパ(Olapa)をウニキする場合には、ウニキの儀式にキチンとした立会人を置いて行われる。
それからオラパ用のフル・レイ(鳥の羽のレイ)と衣装を渡され、アナウンスメントと呼ばれる発表が公共の場で行われる。
ホオパ(Ho’opa’a)の場合にはホオパ用のフル・レイ(オラパ用とはレイの編み方が違うもの)、イプヘケ、染めを入れた衣装。
クム(Kumu)またはコクア/カコウ・クムの場合は、クム用の染めの衣装、ククイ・レイ、パフ(太鼓)などが渡される。
細かく書くとまだまだあるけれど、各段階をウニキするとKuleana(責任)とともに、それに伴う装飾品(レイや衣装)とインプリメンツ(楽器)が渡されるが、それらを全て受け取ったところではじめてウニキというものが完全に終了する。
ハワイでフラ・カヒコ(伝統フラ)を学んでいくにあたっては、ウニキというものがついてまわる場合が多いとは思うのだけれど、学んでいる人が全員、それを目指しているとは限らないし、逆にそれを目指してスタートする人が多いのも事実のよう。
とくにクム・フラを目指す人の場合は、クム・フラとして必要な最終段階のウニキを目指す人が多いようだ。
口承でその文化を継承して来たとされるハワイアンたちは、書面によっての証書などではなく、装飾品や特別な楽器を渡すという方法でそのバトンを次世代に渡して来たのだろうと思う。
各自に渡されるフル・レイも、楽器も、どのようなレイ、楽器を渡されるかによって、クムからのその人への想いが入っている。
説明が長くなってしまったけれど、さて、ウニキの儀式当日。
カウアイ島は先日の連続してやって来たストームの災害で、島の北、ハナレイから先はいまも閉鎖状態。
なので多くの人がウニキの儀式に訪れる、島の北端にある「ラカ・ヘイアウ」には行けないということで、儀式の場所を作るところからこの日は始まった。
ワイルアにある敷地の一画にたくさんのLa’i(ライ=ティーリーフ)の葉を集め、Pu’olu(プオル)と呼ばれるものを数百個作る。
それらを重ね気味にして大きな輪っか状にして置き、Pā(パア)という場所を作る。
その中に、ラウハラ・マットを敷いてパフ・ドラムを置き、その前方にはラウアエの葉を敷きつめてオラパが踊る場所を作る。(これらの作業の中にも、ウニキをした人ができる作業、ウニキがまだな人は手をつけてはいけない、決めてはいけない作業などがある)
真夜中、儀式が始まる時間までは私たちカコウ・コクア(ヘルプ)にあたっていたメンバーは小屋の中であれやこれやと話をした。
なぜか私たちのクムがまったく姿を現さない。
これは自分たちで乗り切らないとと言うことだね。これで準備は万全なのか、自分たちは各自何を身につける?
などと知識とKuleana(責任)をシェアする。
こんな時に … フォーマルな儀式を仕切るにあたって、自分たちがどれくらいの知識を身につけているのか、同時に自分たちの知識がどれくらい足りないのかを再認識するのだ。普段は答えを出してくれるクムがすぐそばにいるとどこかで思っている。聞けばすぐに答えが得られると思っている。
なので自分たちで判断するトレーニングを怠ってしまっている。間違うことを、プロトコルを侵してしまうことを恐れていたりもする。
そんな時間を過ごしてから、カコウ・コクアの衣装を身につけて、ウニキメンバーが着替えをしている小屋の前に立ち、準備ができるのを待った。
しばらくしてもなかなかメンバーたちは小屋から出て来ない。
私とクムの娘でフラシスターでもあるデンビと2人で静かに立って待つ。
少し前まで降っていた雨は上がり、夜空は満天の星で埋まっている。
突然、小屋からそのグループのクムが出て来て、私たちに平謝りをし始めた。
「こんなに準備に時間がかかってしまって、あなたたちを長い間立たせたまま待たせてしまって本当にごめんなさい」と時計を見ながら泣き出しそうな勢いである。
「準備ができた時がスタートするのにふさわしい時間なのだから、私たちのことは気にせずに、焦らずにゆっくりと準備して」と伝える。
いつの間にか「その時が来るまで静かに待つ」ということが当たり前になっている自分がいるのに気づく。
時計の針ではなく、誰かの心の準備ができるのが「その時」だと思うようになっている自分がいる。
(儀式の中で)時計の針を見ながら焦ってしまっている人に、そんなこと気にしなくていいのにと思って、気の毒になっている自分がいることに気づく。
フラのある暮らしをする中で、フラの儀式はいつの間にか、自分で思う以上に暮らしのすぐそばにあるものになっているのかもしれない。そして「その時が来る」まで静かに待てる環境に身を置いていることも、今の自分に大きく影響をしているのだろうと思う。
日本で仕事をしていた時には、分ごとに締め切りがあり、生活の大半は時計の針とのにらめっこだった。
仕事は大好きだったし、締め切りをこなしていた暮らしも決してキライではなかったけれど、こういう時間に身を置くと、「この瞬間に集中している」ということを実感するような気がする。
何分先かの予定のために「いま」をどうするかが決まるのではなく、ただ「いま」に集中する。
これは、なかなかに気持ちの良い感覚だ。
そういえば、先日遊びに来ていたフラシスターが「カウアイ、何もない~」と言っていた。私も同意。(笑)
そう、この島には外から与えられる刺激的な要素は何もないかもしれない。
けれど、大自然のそばで、大きな時間の流れの中に自分を置いているという感覚。
自分もまたそういう大きな流れの中の小さな一部であるという感覚。
そういう感覚を体感できるというのは、フラをやっている中ではなかなかに貴重な経験なのではないかと思っている。
そしてそう言った感覚が自分の踊りの中ににじみ出ていたら、嬉しい限りだな~と思うのである。
朝焼けを数時間後に控えた早朝3時に儀式が終了した。
準備と仕切りを終えたあとに、私たちのクムから「Maika’i Loa(大変よくできました)」という言葉をもらって、お互いに”お疲れさま”のハイ・ファイブをして、それぞれ家路に着いた。
「儀式」という時間は、それが我が家から車で5分の場所であっても、非日常的な時間の流れを創り出すのが興味深い。日常や時計の針が示す時間は、そこには介入しない。太陽と月、そして星々が時間を示してくれる。
参加する人たちの想い、そこまで一緒に過ごして来た時間がそれを彩っていく。
そして、こうしてまた一緒に過ごした時間がそれぞれのこれからに影響し、互いをつなげていく。
古代から続けられて来た各民族の「儀式」が現代にも受け継がれているのには、消えてはいけない必然性がそこにあるからなのだろう。
徹夜した頭でそんなことを思いながら、これから煎れる朝のコーヒーに向かって家路に着いたのである。
筆者プロフィール
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