アローハ!

ハワイでは公式な正装となっているのがアロハシャツとムウムウになります。男性が着るアロハシャツの原型はイギリスの船員が着ていたシャツと言われ、それがパラカシャツだったという説があります。またその生地はもともと着物で作られたとも言われています。そんなハワイを象徴するアロハシャツの誕生に影響があったパラカシャツを今日はご紹介したいと思います。

パカラシャツ

パカラシャツ

ハワイではアロハシャツが男性、ムウムウが女性の正式な正装ということを皆さんはご存知だと思いますが、アロハシャツにはそれほど古い歴史はありません。もともとハワイには生地というものがなく、木の皮を使ったカパが洋服やブランケットの代わりに使われていました。1820年代にアメリカ本土より、キリスト教布教のためにハワイの地に来た宣教師とその妻達により、洋服を着るという習慣がハワイには紹介されたのです。アロハシャツの始まりはイギリスの船員がきていたフロックスシャツという説もありますが、そのフロックスシャツが格子柄だったと言われています。当時からサトウキビ・プランテーションなどの労働者により着られた作業服がこのフロックスシャツでそれが訛ってパラカシャツと呼ばれるようになったと言われています。

パラカシャツは厚手のコットン100%の生地に白や紺でデザインされた格子柄のシャツであり、その強い素材は農作業には丈夫で長持ちする素材として使われました。デニムと同じような感覚だったと言われています。サトウキビやパイナップルなどの棘があるような植物から体を守るということも使われた理由だったと言われています。移民一世達はこのパラカ生地を「ゴバンジ – 碁盤地 –」と呼び、とてもポピュラーなものでした。

その後プランテーションで働く人たち以外の人たちの間でも流行し、ハワイの誰もが着る様なトレンドになって行きました。シャツ以外にもエプロンなどにも使われたということです。

パカラシャツを着ている古い写真 Photo by WorldPress

パカラシャツを着ている古い写真 Photo by WorldPress

テキスタイルの学者によりと、パラカシャツはポルトガル人やハワイアンの中でとても人気があったということです。1895年くらいから着られたと文献にも残っています。

その後プランテーションで働く人たち以外、特にパニオロ(ハワイのカウボーイ)達の間でも流行したのが1920年から1930年と言われており、その後はハワイの誰もが着る様になりました。

ワイパフにあった「アラカワ・ストア」は、パラカ・シャツの専門店として1909年創業し、1995年に閉店するまで長い間ハワイ市民に愛されてきました。

パラカシャツの色はもともとの白と紺だけではなく、時代と共にカラフルになり、白に赤、緑、黒、紫、ピンク、黄などのバラエティーも増えました。ワイキキのサンタクロースは年によってパラカの赤いシャツやパンツを身に付けます。今でもパラカはハワイの人に根付いている洋服になっています。

今はカラフルになったパラカ生地は生地屋さんで見つけられます

今はカラフルになったパラカ生地は生地屋さんで見つけられます

以前、私はあまりパラカシャツに目を向けてなかったのですが、アロハプログラムのお手伝いをさせていただき、色々な方にお話を聞く機会が増え、博物館の館長さんやハワイアン・カルチャーのキュレーターの方々の多くが、このパラカシャツを愛用されていることに気がつきました。

最初の写真はハワイ島マウナケアでハワイアンカルチャーのアドバイサーをされているダニー・アカカ氏。パラカシャツを愛用されています。そしてハワイ島のヒロでジャパニーズセンターにて日系移民のお話をしてくださったアーノルド・ヒウラ氏です。(アロハプログラム、キュレーターの研修1https://pacificresorts.co.jp/kawaraban/quilt/aloha-program-curator-seminar-1/ を参考にしてください)こちらの方もパラカシャツを愛用されている方で、生地に格子柄がプリントされているものもあるが、本物はきちんと織って模様を作っている生地から作られているとも教えてくださいました。お二人のお話しはシャツの話から始まり、とても印象深く残っています。

服装などの目から入る印象っていうのは、本当に大切です。歴史的な服装で私たちに説明してくださるところが素晴らしいですね。

ダニー・アカカ氏

ダニー・アカカ氏

アーノルド・ヒウラ氏

アーノルド・ヒウラ氏

その後はパラカシャツだけではなく、女性の正装であるムウムウにも使われる様になりました。私もどうしてもパラカ生地でムウムウを作っていたいと思い、生地を買って来ました。なんとなくピンクを選んでみたのですが、それにちょっとレースをあしらって作ってみました。まだイオラニ宮殿でのドーセントのボランティアは始まっていませんが、先日ラジオのインタビューにはこれを着て行ってみました。MCの方には、今までパラカシャツは見たことあったけど、ピンクのムウムウを見るのは初めてと言われ、ちょっと嬉しくなりました。そうするとパラカの歴史もお話しできるので、イオラニ宮殿でのボランティアには是非着て行き、パラカのお話しもしてみようと思いました。お揃いでピンクのシャツも作ってみました。来年には日本でのイベント用にスタッフにもこれを着てもらおうかなって思っています。

エマ王妃のサマーパレスでのイベントにも発表されたムウムウ

エマ王妃のサマーパレスでのイベントにも発表されたムウムウ

パラカ生地で作ったお手製のシャツとムウムウ

パラカ生地で作ったお手製のシャツとムウムウ

アン

参考サイト:

https://hawaiipalaka.wordpress.com

7月に発売になった「ハワイアンキルト ―パターンとステッチの魅力」好評発売中!

https://www.amazon.co.jp/dp/4416521561/ref=as_sl_pc_tf_til?tag=anneshawaiiaq-22&linkCode=w00&linkId=f88493622ed811b1f65436432356ef48&creativeASIN=4416521561

筆者プロフィール

藤原小百合アン
藤原小百合アン
アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2010年スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)にてキルト展を開催。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。2012年7月、電子本「キルトストーリー」を発売。2012年9月、スパリゾートハワイアンズへ、フラガール・フレンドシップキルトを寄贈。2013年11月より、イオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを開始。2021年7月には誠文堂新光社より「ハワイアンキルト パターンとステッチの魅力」の増補改訂版を発売。ハワイ、日本での展示会やレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。ハワイ在住34年目。

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