マウイ島はイプヘケ(ヒョウタン製の楽器)のように中央付近がくびれ、東西に分かれます。東マウイの大半を占めるハレアカラーは「太陽の住みか(Hale a Kalā)」という意味ですが、この名前は山頂のクレーターに付けられたものです。西マウイを含むマウイ島の高山全体もかつてはハレアカラーと呼んだという説があります。ここではマウイ島の地形と、そのことがもたらす気候、さらには暮らしと信仰についてご紹介します。
東の島のほぼ全域を占めるハレアカラの標高は3056m。山頂には長径10kmほどのクレーターが広がり、深さは最深で860mほどあります。今日見られるクレーターの形状となったのは12万年から15万年前と推定されます。山頂から南西方向のラペルーズ湾方面と、東麓から東のハナにかけての南麓には、ハワイ島とよく似た溶岩平原が見られます。今日ハレアカラーは永く活動を休止していますが、いまも活火山です。つまり噴火の起きる可能性がある山なのですが、仮に噴火が起きても南麓の、ほとんど人が住まない方面から流れ出すとされます。
さて、ハレアカラーには半神マウイの伝説があります。マウイ島と半神マウイ(正しくはマーウイ / Māui)とはたまたま名前が同じというわけではなく、ハワイ諸島に人が住み着く以前から重要な関係がありました。アオテアロア(ニュージーランド)は北島と南島に分かれますが、マオリ語では前者をテ・イカオ・ア・マウイ(マウイの魚)、後者をテ・ワカ・ア・マウイ(マウイの舟)と呼びます。この背景には、母親が生まれてきたマウイを海に投げ込み、海の精に捧げるという神話があります。マウイの本来の名前が「マウイ・ティキティキ・ア・タランガ(母タランガの髪で編まれた網に包まれたマウイ)」と呼ぶのはこの物語に基づきます。ポリネシアの島々はタヒチ語ではアウイ、マルケサス諸島ではモウイと呼ばれます。
タヒチでは「賢い男」、トンガでは「島を誕生させた神」など、海洋島であるポリネシアの島々には、自分たちの暮らしを支える海に対して深い感謝を抱いていました。このような文化的背景を支えるものとしてマウイ神話が誕生したと言っても良いでしょう。ハワイ諸島に住み着いた先住の人々もまた、海洋の往来や漁業など、海なくして暮らしは成り立ちませんでした。それゆえマウイ神話を大切にしました。
このことに加え、今日のマウイ島には地質や地形、地政学的な事情もありました。ポリネシアの島々は有史以来火山活動と無縁ですが、ハワイ諸島ではマウイ島とハワイ島で活発な火山活動が続いていました。大きな噴火が起きると溶岩が流れたり、噴煙が空を覆い、何週間も続くことがありました。マウイの海にまつわる神話は故郷であるポリネシアの神話を引き継いでいます。しかし、太陽を捕らえる物語を別にすると、地上や天上に関する話にはハワイ諸島で作られたものも少なくありません。
地政学的には、マウイ島はラナイ島とモロカイ島を傘下に収めながら、東にハワイ島、西にオアフ島を従える位置にありました。そのため、歴代の大王(アリイ・ヌイ)は東端のハナ、あるいはホノルルに遷都するまで首都であったラハイナに要所を構えました。従って、おそらくはこの島こそがハワイ諸島の盟主だという自負から、島の名をマウイに定めたのではないかとも言われます。
ハナとラハイナでは大きな違いがあります。ハナは貿易風が吹きつけ、背後のハレアカラーにぶつかって雨を降らせます。漁業だけでなく、農業においても良い立地でした。しかし山岳地帯ゆえに、大きく開墾することはできませんでした。一方、ラハイナはハレアカラーや西マウイの高山で雨を落として乾いた風が吹くため、土地は広くても十分に淡水を確保できないという問題を抱えていました。
マウイ島はラハイナを中心に大きな災厄に襲われましたが、半神マウイの神話が示すごとく、復活を遂げると信じます。
筆者プロフィール
- カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。
最新の記事
- 特集2024年11月21日コキオ・ケオ・ケオ
- 特集2024年10月17日ラハイナの復興
- 特集2024年9月19日変貌をつづけるハレマウマウ
- 特集2024年8月15日ハワイ諸島の誕生と神々1