ハワイの島々には先住民が描いたペトログリフと呼ばれる絵があります。硬い石で、溶岩大地や崖や洞窟などの滑らかな部分を削って描かれます。ペトログリフはハワイ諸島だけでなく、ユーラシア大陸やオセアニア、アフリカなど、世界各地に見られます。(地域によってはペトログラフとも呼ばれます。)しかし、ハワイほどペトログリフのデザインがポピュラーなところはないでしょう。観光に力を入れていることもあり、建物や衣類、民芸品など、さまざまなものにペトログリフが描かれています。ところが、ペトログリフとは何かということを知る人はあまりいません。
昔のハワイ人が岩に刻んだ絵であることは判明していますが、それがどのような意味を持ち、いつ頃描かれたのかということについては、これまで判然としませんでした。ペトログリフは、岩の表面を硬い石で削り取り、シンプルな絵や文様を描いたものです。しかし、時代考証の難しさから、学問的にはこれまであまり発展を見ていませんでした。イタズラ描きをされても区別が難しいこともあります。しかし1990年代に入ってから、岩を削り取った際に出る石粉が付着している場合に年代測定することができるようになりました。その結果、ハワイ史の隠された歴史を解明する可能性が高まったのです。
ペトログリフには大きく2つの表現があります。ひとつは人を描いたもので、もっとも多く見られます。時代によって描き方に特徴があり、同じように見えるものでも意味合いが異なることがあります。一般的には、子どもの誕生や家系を記録したものが多いようです。
ふたつめは同心円を描いたもので、円の中心には赤ん坊の健康を祈願して、へその緒が置かれました。へその緒はハワイアンにとっては象徴的な意味があり、マウナ・ケアの山頂近くにあるワイアウ湖まで登り、湖にへその緒を投げ入れるという習慣もありました。
時代が下るにしたがい、犬やカヌー、鳥、ウミガメなど、暮らしに密着した動物が多く描かれるようになりました。また開国後(ハワイ王国誕生後)は、西欧人の文化を反映させたものも現れます。たとえばアルファベットは左右が反対となった鏡文字が多くあります。さらに時代が下ると馬に乗ったカウボーイなどが描かれました。このほかにも、ペトログリフは文字を持たなかったハワイアンにとり、象形文字のような役割を担っていたのではないかという説もあります。
ペトログリフを専門に研究している学者は世界中にいて、国際的な学会も存在します。しかし、これまでそれほど注目される存在ではありませんでした。とくにハワイの場合は数百年も昔のものからごく最近のものまで、時代変遷があるだろうことは分かっているものの、それぞれの年代を正しく同定できなかったため、学術的な価値がないと見なされてみたからです。しかし、先に触れたように、石粉による年代測定で、詳細な時代が判明しつつあります。
ペトログリフに関するフィールドワークはいまも地道につづけられています。とくに、ビショップ博物館では設立当初から全島規模でペトログリフの分布を細かく調べ、資料として保存しています。その調査は徹底していて、集落全体に残された何千という単位のペトログリフを、細大漏らさず記載しています。
観察者の洞察力が歴史を垣間見せたケースもあります。キラウエア南麓のヒリナ・パリにある熔岩洞窟で、壁面に描かれたペトログリフを発見した学者は、壁の上部と下部で描き方に時代変遷があることに気づき、もしかするとその下にはもっと初期の絵があるかもしれないと考えました。そこで床面に堆積する岩石を除去すると、はたしてそこには、さらにシンプルなタッチの古いペトログリフが見つかったのです。
ペトログリフはとても単純なデザインで、だれにでも描けそうにみえます。そのせいか、世界中で発見されているペトログリフに共通のデザインを見つけ、そのことから単一の文化を持った民族がかつて存在したと説く学者もいます。時代考証が進めば、エジプトのヒエログリフのように隠されたメッセージが浮かび上がるかもしれません。いまから10年ほど前、地元のフィールドワーカーが、ハワイ島のワイコロアに点在する同心円状のペトログリフが夜空の星座を表していることに気づきました。これまでの解釈を打ち破るこの発見から新たな展開があるかもしれません。ペトログリフの研究はハワイの歴史解明に大きな役割を果たす可能性が秘められています。
筆者プロフィール
- カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。
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