繁栄と衰退

ホノルル港に停泊する西欧の商人たちは、王国とハワイ王政に新たな富をもたらしました。砂糖産業が力を持つようになると、大きなビルや埠頭が次々と出現し、住民たちの生活の質も向上しました。その一方でハワイの人々は、西欧人が持ち込んだ伝染病で次々と倒れ、わずか50年ほどで人口が10分の1に激減しました。加えて1893年には砂糖産業の権益を守ろうとする西欧人たちによってハワイ王国は倒されてしまいます。そして1898年にハワイ諸島はアメリカに併合されてしまいました。

移民の増加

ハワイの人々の減少に伴い、サトウキビ農園などで働く労働者の不足に直面した白人経営者たちは、中国人や日本人、ポルトガル人、フィリピン人、韓国人を招き入れて補填しました。しかし人口増加とともに中国人の移住禁止、日本人移民に対する同様の処置などが取られました。一時はハワイ諸島の全人口の4割が日本人移民である時代がありました。(*2020年時点の日系人は約14%です。)

サトウキビ農園と日本の女性労働者

サトウキビ農園と日本の女性労働者

 

ワイキキの誕生

ワイキキとはハワイ語で「水が湧き出るところ」という意味があります。ここは湿地帯としてほとんど利用されず、海辺に沿ってわずかな住居があるのみでした。しかし西欧人が定住し、1837年に最初のホテルがオープンすると、ワイキキ地区の開発は進みはじめました。湿地帯の土壌を掘り下げ、湧き出る水を集めてアラワイ運河を誕生させて広大な土地を確保すると、ワイキキのリゾート地開発はさらに弾みがつきました。

1860年代にホノルルのダウンタウンからワイキキまでの道路が完成すると、1883年にはカピオラニ公園に隣接する土地が解放されて、今日に至る区画ができ上がりました。1888年に2番目のホテルがオープンすると旅行者が増え、これに合わせて新しいホテルがオープンするという形で、ワイキキは急速に発展していきました。

1901年に誕生したモアナ・ホテル

1901年に誕生したモアナ・ホテル

 

土地の支配

宣教師たちの一部やその息子たちは、やがて諸島各地で大きな影響力を持つ実業家となりました。ホノルルもその例外ではありませんでした。彼らは土地の多くを支配するようになり、大規模で収益性の高い砂糖プランテーションを運営しました。下の写真は1933年当時のホノルル市郡(ワイパフ周辺)です。最後のサトウキビ収獲で、収穫後の畑は野焼きが行われています。この後、農園は閉じられました。その後の農園数は減少が止まらず、最後の商業農園であるマウイ島プウネネの農園も2016年12月12日に閉鎖されました。

野焼きとサトウキビ農園の労働者

野焼きとサトウキビ農園の労働者

 

ホノルル港

パールハーバー湾の周辺は古くからタロイモ水田として、その後は一時的に米の水田として利用されました。客船や貨物船がアロハタワー周辺に展開されるとともに、パールハーバーは軍港として拡張されるとともに、ホノルル港はハワイ諸島の玄関口として繁栄しました。その後、旅の移動手段の主役は飛行機に譲りましたが、ホノルル港はアメリカ最大の貿易港のひとつとして年間1100万トン以上の貨物を扱っています。コンテナ輸送のほかにも、観光船や漁船などの出入りも活発です。

パールハーバー

パールハーバー

アロハ・タワー

アロハ・タワー

 

ホノルル空港

一方、本格的な空港建設は1927年のことです。この空港は当時の海軍司令官であったジョン・ロジャース氏を取ってジョン・ロジャース・フィールドと名付けられました。1946年に民間に開放された空港は翌1947年にホノルル空港という名に改称されました。1948年にはヒッカム空軍基地が作られます。(*この基地は現在もダニエル・K・イノウエ国際空港と隣接していて、空港発着の飛行機からその全貌を見ることができます。)2017年にはハワイ州に大きな影響力を持っていた故ダニエル・K・イノウエ上院議員の名を冠してダニエル・K・イノウエ国際空港に改称されました。

ダニエル・K・イノウエ空港内にあるイノウエ議員の紹介コーナー

ダニエル・K・イノウエ空港内にあるイノウエ議員の紹介コーナー

ダニエル・K・イノウエ空港

ダニエル・K・イノウエ空港

 

今日の人口と観光客数

米国国勢調査局によればホノルル市郡の人口は2020年時点で約80.2万人です。周辺の衛星集落を含む人口は約101.6万人です。(*その後に人口は増加し、2022年時点で約130万人にです。)ちなみにオーストラリアを除くとオセアニア圏で最大の人口を有します。ホノルル市を訪れる観光客はでコロナ以前には最大1040万人(*2019年統計)でしたが、コロナ禍では270万人まで激減しました。しかし2022年には約920万人まで回復し、2023年には1000万人を超えると言われます。アメリカ合衆国における観光客数のランクにおいて、ホノルルは、ニューヨーク、マイアミ、ロサンジェルス、オーランド、サンフランシスコ、ラスベガスに次ぎ、7番目に位置します。(*ただし日本人観光客は長期的なデフレと円安のせいでコロナ禍以前の半数ほどに留まります。)

今日のワイキキ周辺

今日のワイキキ周辺

ホノルルの今後

数年にわたるコロナ禍以降、戻らぬ日本人観光客、深刻な経営難に陥っているホノルル鉄道(スカイライン)、さらなる物価の高騰、温暖化による海面上昇や海岸の浸食など、巨大観光都市ホノルルが抱える課題は数多くあります。しかしながら遙か昔から今日に至るまで、ワイキキを含むホノルルの街は世界屈指のリゾート地として、またハワイ史における最も重要な土地として今後も私たちに大きな魅力を与え続けることでしょう。

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筆者プロフィール

近藤純夫
カワラ版のネイチャー・ガイド。本業はエッセイスト兼翻訳家だが、いまはハワイの魅力を支えている自然をもっと知ってもらうことに力を注ぐ。趣味は穴潜りと読書。ハワイ滞在中も時間をやりくりして書店通いをしている。